有馬と炭酸の歴史
慶長2年 (1597年) 毒水の湧き出ていた「血の池」という炭酸泉に目をつけた
三田城主の山崎家盛が温泉場を造ろうとしたが
祟りを怖れた住民が太閤秀吉に直訴し造成工事を中止させた。
怒り狂った山崎家盛は有馬の住民を皆殺しにしたという。
明治6年 (1873年) 毒水と恐れられていた炭酸泉が梶木源次郎氏により鉱泉と確認。
明治8年 (1873年) 炭酸水の薬効が内務省大阪司薬場によって立証される。
明治19年 (1886年 ) 地元有志により炭酸泉源上屋が建設され
この泉水を雨露から防ぎかつ盛んに気泡が発生する様に
泉脈を導いて絶えず湧き出る様に整備された。
明治33年 (1900年) 大阪・堺の酒造家で清酒「春駒」醸造元の鳥井駒吉が
サイダー製造会社「有馬鉱泉合資会社」を有馬に設立する。
明治34年 (1901年) 日本で最初のサイダー「有馬シャンペンサイダー」が
有馬の炭酸泉を利用して作られ、神戸居留地の外国人、外国航路向けに発売
明治40年頃(1907年頃)三津森本舗の創業者三津繁松氏が炭酸せんべいの製造に成功
大正15年 (1901年) 「有馬シャンペンサイダー」の製造停止
平成14年 (2002年) 有馬八助商店がお土産物の開発の一環として「有馬シャンペンサイダー」を
76年ぶりに復刻、「ありまサイダーてっぽう水」として発売。
平成26年 (2014年) 有馬温泉に世界初の炭酸専門店「有馬炭酸力」が開店